勉強に打ち込んだ夏を誇りに思ってほしい。

高校生の夏休みを見ていると本当に人それぞれです。

部活を頑張る、オープンキャンパスに出かける、実習に参加する、学園祭の準備をする、勉強を頑張る・・・

そんな中、ある高校生がつぶやきました、

「夏休みにいったい何をやっていたんだろう・・・」

 

少々自虐的な発言でした。

何でこんなことを言うのか聞いてみると、

「この夏休み、体育祭や文化祭の準備に結構時間を取られてしまい、夏休みの課題とテスト勉強をやっただけで何もせず終わってしまった。夏休みらしいことを何もできなかった。」

とのことでした。

夏休みといえば、世間の人たちは様々なレジャーを満喫しているかもしれませんからね。そう思うのも無理はありませんが・・・。

それに対して私は言いました。

 

「どこかへ旅行する、友達と遊びに行く、恋人とデートする。こういうことは楽しい。」

「そういうことをしている人は、先週末には何をした、今年の夏には何をしたという楽しい話をすることができる。」

「一方、わかりやすい例がスポーツ選手なんだけど、もしスポーツ選手に先週末のことを聞けば『練習していた』としか話はできないと思う。」

「はっきりいって楽しい話なんかすることができない。何かに打ち込んでいる人はみんなそうだと思う。」

「でもこれが、10年後だったら話は逆転する。」

「『この10年間何をしていましたか』と聞かれれば、何かに打ち込んでいた人は『私はこれをやっていた』とはっきり答えることができる。」

「その話はきっと、ただ楽しいことだけをしていた人の話よりもキラキラしてまぶしいものだと思う。」

「何かに打ち込むってこういうことだと思う。『楽しくなかった』は『充実していなかった』は違うから。」

「いいんだよ。胸を張って『勉強していました』と言えば。」

 

これは私の本心です。

生徒を励まそうと言ったことではありますが、そのために言った耳障りのいい言葉などではありません。

何かに打ち込むこと、熱中することってこういうことじゃないですかね。

そんなことを思いました。

 

何かに打ち込めることって素晴らしい。打ち込めることを持てるというのは立派な才能です。

私はそう思うのです。